撮影  上井 明 様

丹波の駅馬と山陰旧街道 その1

山陰旧街道は、丹波に始まり、西の石見で終わる八カ国を連ねる中世の幹線道路である。前回に述べたごとく山陰旧街道は、小路に当たり、「延喜式」によると37駅を置き、230疋の駅馬と75疋の伝馬が配され、このうち兵庫丹波には4駅(小野、長柄、星角、佐治)が位置した。

○小野駅

船井郡野口郷から西進し、天引き峠を越えて篠山盆地に入り、最初の駅が、小野駅である。位置については諸説あるが、福住の西北にある二の坪又は「大日本史国郡誌」の小野奥谷の説が有力とされている。二の坪は、篠山川の上流籾井川の貫流する田園地帯であるが、馬糧地の坪名の名残や馬継郷の駅伝制からとった名称と云われ、現在の国道173号が通過し、北で国道9号とも連絡し、南は福住で篠山街道と交差する交通の要衝の地である。なお、多紀文化顕彰会によって設置されている現在の小野駅址碑は、奥谷説によるもので、山際の道でもあることから個人的には奥谷説を押したい。

○ 長柄駅

次の長柄駅も諸説ある。日置郷野中と小枕、そして郡家の三説である。郡家は、多紀郡の郡衙の所在地であり、出雲風土記に見るように当時最も優れたる交通機関の駅と所を同じくしたと解釈したもので、丁田の坪の西北に長柄芦の小字名が残り、最も有力とされている。野中は、「丹波誌」の説、小枕は駒庫の転字によるとし、奥田氏は近くに馬口池、馬草の坪といった小字もあり有力とされるが、この二つの地名については、平家を追って通り過ぎた「義経」の伝承を採りたいと思う。

○星角駅

星角駅は、駅間距離から石生と仮定されている。ただし、宿畑や横田と稲継の中間(丹生津野)、群衙のあった氷上といった説もある。丹生津野は、丹生が書写の際星の字に津野が角であるとするものだが、私は佐治川の氾濫区域であることから、平安期に低湿地に駅を設けたとは考えられず、丹波誌の石生説を押したい。石生は、石生負とも書き、三字を混合して星角となったというものである。ただし氷上郡誌には「郡内には佐治の一駅に過ぎず」と記載されている。

 

             
 
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