撮影  上井 明 様

 丹波の義経伝説
 そのB:三草山の戦い

 平氏方は平資盛を総大将に、有盛、師盛らが三草山の西、御所谷から馬瀬に陣を張った。これに対して義経は2月4日、千余騎で三草山の東、小野原に到達し、平氏軍と3里を隔てて陣を構える。義経は夜が明けると平氏軍に強力な援軍が来ると予測し、その日に夜襲を決行することにした。しかし、闇の中では動くことができない。山道を一気に進撃し、周辺民家や枯れ草に火を放ち、昼間のような明るさの中攻め入る。明日の決戦を予測して油断していた平氏軍は不意をつかれて混乱に陥り、源氏側の圧倒的な勝利に終わった。こうした伝承を物語るように丹南〜今田には戦を物語る逸話が多い。
 

○龍蔵寺(真南条上)−義経が通過した際、兵火にかかり焼け落ちた。
○槙峰(大沢)−義経が通過した際、火災にかかる。
○千首塚(大沢)−兵士の首を埋めた。
○不来坂嶺(不来坂)−平氏がこの坂に兵を進めていると判断していたが、来ていなかったので「平氏不来坂」と呼ぶようになった。
○無名木(不来坂)−不来坂の手前で義経は馬を止め、休憩と攻撃の手順を整えるために軍をとどめた。その時、そばにあった八幡神社に武運長久を祈願して使っていた鞭を地面に突き刺し、「源家長久ならば芽を生じ、盛大に繁
茂せん」と言って合戦に向かった、後日見事に芽を吹き、大木に成長した。その後、暴風雨で折れたが、再び芽を出し茂ったという。だれもその木の名を知らないので、「ななし木」と呼ぶようになった。現在、その木の子孫がJR「古市」駅手前の道路から200mばかり南に、民家の屋根を覆わんばかりに茂っている。高さは6〜7m。「ハルニレ」というニレ科の落葉樹である。
○偽首(黒石)−三草山に陣を張った平家の先鋒が源氏の義経軍に対するため、樹木に甲冑を架け、陣列のように見せて欺いた場所。
○オロ峠(油井)−義経軍が敵の来襲に備え、おろおろしながら越えた。
○集坂(住山)−義経が兵を集めた場所。東山麓を団居場と呼び、旗を立てた所とされている。
○会峰(四斗谷)−義経がここに兵をあつめたので「会峰」と呼ばれるようになった。
○千年家(源義経休憩所)−807年に飛騨の匠が建立した。「深さ二丈四尺、広さ三丈六尺」構造材は松で一切楔は使っていない。義経が休息した所と伝えられる。
○腰掛石(今田)−水無峠で一服するため腰掛けた石。
○只越(市原)−義経が「ただやすやすと越えた」ので只越と呼ばれるようになった。江戸期年貢米を社まで「ただで運ばせた」との説もある。

 この三草山の戦いに敗れた平資盛、有盛、忠房らは加古川沿いに逃げ高砂へ、さらに讃岐の屋島に渡った。三草山を脱出した師盛他、2名の武将が一の谷の陣に合流したと伝える。

 

 

             
 
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