丹波環境基金
   〜わたしたち一人ひとりの手で、丹波の環境を美しくしましょう〜
   

 

 

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『河童と杜』 PDF版

 

ちょっと雑学!?
『丹波の名木』

天王のアカガシ
《能勢町天王》

追手神社の千年モミ
《篠山市大山宮》

鹿野馬神社のスダジイ樹叢
《青垣町大名草》

乳の木さん(常瀧寺大公孫樹)
《青垣町大名草》

上立杭の大アベマキ
《篠山市今田町》

日置のハダカガヤ
《篠山市日置》

佐地神社のアカガシ
《青垣町小倉》

兵主神社のオガタマノキ
《春日町黒井》

柏原八幡神社社叢林
《柏原町柏原》

九尺藤
《市島町白毫寺》

 

かっぱ花火はこちらです

 

 

かっぱダービーの様子
18年10月 友渕川《篠山市遠方》

 

丹波を舞台に、環境をテーマとした河童の物語

『河童と杜』

     
   

 泥深きかつて田庭と呼ばれた国の山奥に、何やら奇骨な生き物が棲んでおるという噂があった。頭禿にして体躯は黄蘗、樹の枝葉に擬態するや触れば水となり川を揺蕩い、時に枯葉に紛れ、稀に禿げた頭皮を隠しそびれて人に気付かれ、踏まれるやいなや人を喰うという話まで流れておった。奥田庭のとある邑から、山一つ超えて海へ出づるには杜を越え清流を越え闇を越える寂れた一本の道しかなく、殊に夜、稀に山奥から聞こえる「ホホー、ホッホッホッ」という割れた法螺貝の掠れ音のような気味悪い声が聞こえるや、翌日邑人の一人が必ず霧消していることから、人はこの道のある杜を「三途の杜」と呼んでおった。もっとも、流れていたのは噂だけで、誰もその生き物を見たことがなかった。この前若い女が消えたときに邑長(むらおさ)が若い衆に尋ねたところ、至極当然の答えが返ってきた。「見たものは皆喰われるから、誰も見たことがないのは当たり前ぢゃ。」

 白髪の者がまだ皺のなき肌をしていた頃、王家の一族がこの道を通られるということで噂を聞き、時の政府が杜を切り開くよう邑の工人集団に命じたが、古い樫の大樹を切るや皆足の病にかかって歩けなくなったことから、当時の邑長が都に出向いて説明しこの道だけはお避け頂くよう申し出たところ、時の皇が邑長に言った。「それならお前が歩いてみよ。帰ってこなければ通らぬ」と。その後、邑長は山へ消え、再び見た者はいない。今はこの邑からこの道を通ろうとする者はなく、来る者はいても行く者はいない。猛々しくも意気揚々の若人(わこうど)はおらがこそと嘲笑をもって山に向かうが戻る者はなく、それゆえ邑には年寄りか痩小の若人しかいなかった。

 ある夜、お蜜という、丈がまだ大人の半分くらいの女子(おむなご)が、「河童を見た」と邑の衆に言った。周囲の大人は怯えつつ聞いた。「でまかせを言うんじゃないよ。どこに見たって言うんだい?」お蜜は言った。「この前の秋、拾ったどんぐりを植えていたの。この春に芽が出たんだけど、その若葉を今日の夕方眺めてると、その葉っぱの一枚が河童になって光のように空に消えていったんだよ。杜の方に向かって。」「何を言っているんだい?」邑の衆は信じがたげな眼差しで女子を見つめた。大人が言えば、邑八分である。母が静止しようとしたが、少女は最後にこう続けた。「夜になってもういちどそっちを見ると、何も変わらなかったけど、月明かりだけはいつもより強かったんだよ。」その同じ夜、邑人は再び「ホホー、ホッホッホッ…」という気持ち悪い声を聞いたが、次の朝、消えた邑人はいなかった。

よく知られていることだが、椎のどんぐりは生で食える。ある時、海の邑の若者由宇(ゆう)がこの山の道を通ってきた。土産に山の奥でとれたという椎のどんぐりを持ってきた。聞けば山の谷間に小川が流れており、それを越えれば、樹冠に隙間なく地に光の届かぬ深邃の場所、鬱蒼とした瞑い杜が汎がっており、方向も何も分からないという。困って仕方なく地面を触れば何やら丸いものがたくさん落ちている。それを集めてさっきの小川に戻って見るやどんぐりだった。ふと気付けば道は杜ではなく小川に沿って続いており、半日歩いてこの邑に着いた、という話である。面白がってこれを聞いていた若い連中二、三人がそれを食うたところ、翌朝当人達は足が細くなり眼が攣りあがり、頭から樹の葉が生え真ん中は禿げ上がっていた。家族の数人がそれを見た以外誰も証言はなく、やがて「ホッホッホ」と宣(のたま)いながら山に走り去ったそうである。

 帰る前夜、邑人は皆由宇に言った。「山から帰るのはよしなはれ。ひと月余分にかかるが、南から回って京に出た方がよい。おぬしはいい人柄じゃ。死なせたくはない。」と。由宇は言った。「妻が病に倒れており、生死の境を彷徨っている。何とか薬を求めてここに来た。探しているものは見つからなかったが、このどんぐりを食べて河童になったのを聞いた。どうせ死ぬのなら、この不思議な木の実を妻に食わせたい。その時は私も一緒に食うつもりだ。」「とにかく急ぎだ、南から迂回する余裕はない。」と。

 その晩、由宇が眠っていた時、横で動くものを感じた。うっすらと眼を開くと、女子がこちらを見ていた。「お兄、ここで一緒に眠ってもいい?」お蜜だった。「いいよ、どうしたんだい?」由宇は尋ねた。「私ね、怖い夢を見たの。見たこともない着物を着た人が、どんぐりの木を切り倒して、河童がね、数百、数千とうようよ彷徨ってるの。たくさんいるんだけど、皆痩せ細ってね、骨がないみたいで、そのうち泥の川に吸い込まれて皆消えていったの。後にはね、木の切り株がたくさんあって、強い光が差し込んでいて、眩しくて、何も見えなかったの。後のことは分からない。目が覚めて、怖くて怖くて、それでね・・・」お蜜の眼からは涙が流れていた。「悪い夢を見たんだよ。さあ、もう寝よう。」由宇はお蜜の髪を撫でながら言った。「お兄、明日帰るんやね…」

 翌朝早く、由宇が眼を覚ました時には、お蜜はもういなかった。邑長に最後の別れを告げ、多くの者がまだ眠っている中、一人山に消えていった。往路歩いた小川を進むと、やはり左手に、どんぐりを拾った深い闇の杜があった。由宇は、その奥で煙のようなものを見た気がした。手元に残っているどんぐりはもう三つしかない。もう少し拾おうと思い、意を決して再び、鬱蒼と茂った涅色の瞑い杜に入った。

 暫く歩くと、真っ暗で何も見えなくなった。鬱蒼とした杜の空気は生ぬるく湿っており、ふと触った樹の肌はぬめぬめとし、驚いて倒れた地面は深い腐植土でぶよんと沈んだ。気持ち悪くなって戻ろうとしたが、遠くのかすかな明かりだけが手がかりで、一目散に走ろうとしたがすぐに樹の幹にぶち当たり、また光が見えなくなる。やがて恐怖から眼もまともに見えなくなり、記憶も飛びながら光を探し懸命に進もうとした。

 「ホッホッホッ、ホー」薄気味悪く杜を貫く震えた声が辺りに響いた。「ホホッ、ホッホッ」もう一度、同じような声が聞こえた。生温(なまぬる)い風が由宇の顔を舐め回した。「なんだ。」初めて由宇は、大声を出したが、ざわざわとした音に掻き消された。気が付くと上の方で強い風が吹いており、樹冠の隙間から時折どんよりと曇った空が垣間見えた。やがて風が止み再び闇が戻ったときには、由宇は腰から崩れ落ち、もうじっとして動かなかった。

 「お兄ちゃん」ふと、近くから聞き覚えのある声が聞こえた。「お蜜ちゃん?」闇に向かって聞き返した。「うん。お兄ちゃん、どんぐり、食べる?」優しそうな声が返ってきた。「帰りたいんだけど、道が分からないんだ。」由宇は答えた。「お兄ちゃん、どんぐり、食べる?」また同じ声が聞こえた。「妻が病気でね、早く帰りたいんだ。お兄ちゃんじゃなくて、お兄ちゃんのお嫁さんに、どんぐりを食べさせたいんだ。」俯きながら、もう周りを見ず、由宇は答えた。その時、由宇は口元に何かを感じた。どんぐりだった。「食べる?」闇から声が聞こえた。「お兄ちゃんじゃなくて・・・」由宇がそう言った時には、どんぐりは口の中に入っていた。甘く苦い味を感じたまま、由宇は気を失った。

 気が付いたときには、由宇は山の向こう側の入り口に倒れていた。もう自分の邑は目の前である。何も考えず、妻のいる家に向かった。帰り着いたときには、妻は既に元気になっていた。「昨日、河童の夢を見てね、河童がどんぐりをくれたのね。そうして眼が覚めたら、昨日まで動けなかったのに、全然治っていたの。不思議な夢だったわ。」こう妻は言った。由宇は、ふと気付いた。「どんな河童だったんだい?」妻は答えた。「小さな、かわいらしい女の子の河童でね、そうそう、名前を『お蜜』って言ってたっけ。小さなどんぐりをくれてね、甘くて苦い、おいしいどんぐりだったわ。」

 それ以来、由宇はこの山を越えたことはない。もう齢(よわい)も五十を超えるが、夫婦円満に過ごしている。やがて生まれた娘には「お蜜」という名をつけたと聞く。

 冬も葉の落ちぬ深い杜は、今も由宇の家から遠くに見えるが、あれ以来一度も足を踏み入れたことがない。河童の話は、邑人の間でも時々は流れるそうである。

 

 Copyright(c) 2006-2007 Masakazu Masuda<増田昌和> All Rights Reserved.

 
 

 

 

〜 この短編小説について 〜

 この小説は、私の勤務する『NPO法人たんばぐみ』にて毎年秋に実施している『河童ダービー』にヒントを得て執筆したものです。『河童ダービー』は、河童一匹あたり五百円を頂き、例年篠山市本郷(西紀地区)の友渕川にてレースを行い、頂いた金額を『丹波環境基金』に寄付するものです。(平成一七年度は、篠山市今田町の「篠山市サギソウ保存会」に助成されました。)

 この小説では、椎の木、樫の木が登場します。この木は、丹波地域の潜在植生たる常緑広葉樹林の高木層を構成する代表的な樹種です。いわゆる「丹波」と呼ばれる地域は、ほぼ全域が暖温帯に位置し、約二百年間人の手が加わらなければ、椎の木、樫の木、その他ヤブツバキ、アオキ、サカキ、ヒサカキなどの常緑広葉樹に覆われます。これが意味していることは、「自然」であり、動植物の在り様を尊重し、それに手を加えない、即ち「無為」という、もっとも簡単でありながら実際には難しい、人間の態度の結果のことです。この「自然」即ち「杜」に対し、河童を重ね合わせたのがこの小説なのです。
日本の植生、特に樹木に焦点を当てると、概ね次の三種に分けることができます。それは、@木材生産のためのスギ・ヒノキなどの針葉樹林、A里における生活上の必要性から生じる雑木林、B潜在植生のあらわれた、その土地条件や気候にもっとも適応した樹種により構成される林 です。分かりやすく言うと、@は生業、Aは文化、Bは自然です。

 丹波では、@は青垣町など、林業生産の盛んな地域に多く見られます。丹波産の木材を使った古民家再生などに活用され、地域文化の保存・継承に大きな役割を果たしています。
Aは、「丹波の森宣言」に代表される、丹波地域の里づくり活動の一環として見られるものであり、昔からの「里山文化」の結果として生じたものです。具体的には、常緑広葉樹林を切り開けば、植生遷移が退行し、数十年間はクヌギ・コナラ・アベマキなどの落葉広葉樹が卓越します。この落葉広葉樹林も、放っておけば常緑広葉樹林に遷移しますが、意図的に間伐することで、落葉広葉樹林が維持されます。ここで重要なのが、意図的に間伐する理由です。それは、間伐材を、椎茸のほだ木にしたり、薪にしたりすることで、生活に利用することです。また、落葉広葉樹は秋にいっせいに落葉しますが、その葉を、農作業の終わった季節に田んぼに鋤き込んで、次の年へ向けた土づくりに利用するのです。このように、落葉広葉樹林は人間の生活文化と密接に結びついたものであり、また里づくり活動を支援・推奨する「丹波の森宣言」と一体となって推進されるべき、私たちの大切な文化遺産でもあります。
なお、現在丹波地域でしばしば見られる落葉広葉樹林は、その多くがあくまでスギ・ヒノキ林が放置された結果の遷移途上のものであり、即ち放置林のそれであり、いわゆる里山林としての雑木林ではありません。また、子どもたちに里山の大切さを伝え、その保全のために落葉広葉樹を植えることは非常に重要なことですが、その際に子どもたちに伝えるべきことは、単に大きく育てて満足するために植えるのではなく、将来「切るために」植えるということです。里山林は生活と結びついたものであり、即ち「文化」であり、「自然」ではないのです。

 Bは、兵庫県の丹波地域では通常、常緑広葉樹林であり、もう少し標高の高いところ、例えば氷ノ山(養父市)の標高千メートルを超えるところでは、ブナなどの落葉広葉樹林になります。この意味するところは、「自然」であり、即ち、「自ずから然り」「あるがまま」のことです。

 人類は道具を発明し火を使い、身の回りの環境を支配・征服することで文明を生み出し現代の快適な生活を築いてきたわけですが、その弊害が、「環境破壊」という形で目に見えてきています。これを克服する方法として様々な科学技術が生み出され、人類の将来への明るい展望も見えはじめていますが、依然として地球温暖化などの問題は深刻化する一方です。ここで、最も簡単なことをもう一度見直すことで、解決の糸口が見えてくるという思いから、この小説を書きました。即ち、「自ずから然り」つまり「動植物の本来の在り様を尊重し、必要以上に手を加えないこと」の大切さを見直そう、ということです。

 何も手を加えないということは、最も簡単そうに見えて、実は最も難しいことです。例えば、田んぼの畦道に草が生えるのは、当たり前のことです。けれども、それを「見栄えが悪い」と言って、刈り取ります。また、マツなどは本来尾根筋など一部の場所にしか生えない特殊な樹種です。けれども、松茸が欲しいから、とか、見た目がきれいだから、という理由で、多くの場所に植えます。夏に暑いのは当たり前ですが、涼しい方が快適だということでクーラーを入れます。全て、人間の利便性のために、何らかの「行為」をしているのです。

 現代社会の様々な問題が、このような「行為」を通した「驕り」に起因するとすれば、それを克服する方法は、「自然」の大切さ、「在るがままの姿」を尊重することにあると思います。「行為」もよい方面に向けば素晴らしい効果を生み出します。科学技術の発展はまさにそれです。けれども、車の窓からゴミを投げ捨てる、お茶碗にご飯をたくさん残しても「もったいない」と思わない、安いからと言って何度も使えるものを使い捨てにする、快適なゴルフ場にするために大量の農薬を撒布するなど、誤った方面に向けば、やがて人間は自らの首を絞めることになります。その解決への糸口が、「自然」であり、「杜」なのです。

 椎の木や樫の木から構成される常緑広葉樹林は、鬱蒼としており、陰気で薄暗く気味が悪いです。地面に届く光も一年中少なく、どこに何が潜んでいるのかが分かりにくい。椎の木や樫の木が豊富な堅果を実らせるということは、ここには熊や猪などの危険な動物が徘徊しているということでもあります。即ち、本当の「自然」とは、「生命」に関わるような「怖く」「恐ろしい」場所であり、ハイキングをして楽しむような場所ではないのです。この「自然」即ち「杜」の奥深さ、恐怖感、そして神秘性を子どもたちに伝えることが、私たち人類の将来への道筋となるのです。

 最後に、この小説を書くことになったきっかけは、河童ダービーを今後どうするかでたんばぐみ一同が迷い悩んでいたときに、理事長である坂東隆弘氏が、「河童の面白い話を書いてみたらどうか」と私に持ちかけて下さった一言でした。氏は長編小説を意図していらっしゃいましたが、拙い私の文章力ではこの程度の小説で精一杯でした。改めて坂東氏に御礼申し上げるとともに、この小説をお読み頂き、一人でも多くの方が、丹波の環境について考えるきっかけになれば、この上なく幸いに思います。

2007年3月 増田昌和

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