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《文章・写真》 一級建築士 才本謙二先生

たんばに住もう・たんばで暮らそう

18 「古民家」に住む2

 

 

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 古民家で暮らす楽しみを語るには、実質2ヶ月ほどの生活しかしていない今は、時期尚早だと思いますが、日々発見がありその辺りを報告したいと思います。

 今やくらでやっている暮らしは、実はほんの数十年前は普通のことで、皆さんが普段当たり前の事としてやっていたことや、常識だったことばかりだということを発見したのかもしれません。やくらで展開していることを、余り上段に構えてお話することはないですが、時々懐古趣味と誤解されることがありますので、整理の意味も込めて少しお話しします。

 ひとつは、変化のなかで切り捨てられた暮らしには、どんなものがあるか、またその理由はなにかを読み取ることです。そこから、このまま見捨てられていいものか、蘇らせる必要はないのか、また少し手を加えれば現代風にアレンジした新しい暮らしが創造できるのかなどを、事象からすべてを演繹しようと考えます。今の暮らしを見ていると、現代社会は、現在進行形で利便性や機能性・経済性を求めて、暮らしを激変させています。今後多くの日本人は、暮らしの到達点をどこにおくのかどんな暮らしを理想と考えるのかイメージすら持たず、突き進んでいくことになるのでしょう。もうすでに充足されていると思うのに、まだ貪欲にアメニティを追い求めています。そんな文化的生活に馴染んだ人々に、今更昔の暮らしに戻ろうなんて言うつもりはさらさらありませんし、戻ったところで意味のないことです。ただ、何か大事なものを置き忘れてきていませんかということを言いたいのです。

 また他面から言うと、人間の文化の形成などに影響を及ぼす環境(風土)と暮らしが、綿密に関係していることは言うまでもありません。暮らしは、その地域性を如実に反映し培われたものですが、社会のグローバル化の進行によって、さっさと葬りさせてもいいのか、とても疑問なのです。神戸新聞社の「暮らしと食」の記事を担当されている記者の辻本さんも同じように危惧していて、民俗学の学問レベルから欠落する「普通の生活」の伝承の必要性を強調されています。地域というもの、暮らしというもの、古民家というもの、人というもの全て同じで、大きな波の中で消え去ろうとしています。「新しいことが良い事」で、歴史をリセットして新たに生み出されるものが果たして良かったか、一度皆さんも考えてみませんか。

 

 

 

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